メール・・・皆さん結構無視してごめんなさい。
でも、二ールの事とか(ロックオン・ストラトスの事ね)チベットの事とか、イラクの事とか色々考えてたらドつぼに入ってるらしいのです。
いや、本当に何も出来ないのだけれど。
チベットのニュースが入ってきたその日は時として見ない日もすらあるTVを見て、(リモコン探すのでまず大騒動)ずっと、見て。
見つづけて。
ああなんだか、9.11の時みたく、あの時みたいに取り乱してクッションに顔押し付けて泣いたりはしていないのだけれど、あの時と同じ衝撃がまだ私の中にあったのだ、と。そう思った。(あの時の衝撃は一生忘れない。夜中に速報が流れて、見つづけて朝になって、喉がひくついて、心臓がばくばくいった。)
GANDAM00の23話見て衝撃受け泣いて、チベットの話見て泣いて、そうしてもう幾度目かわからないイラクのニュースに泣いて。
どれだけ情緒不安定なんだって、自分で思う。
色々衝撃が重なって、やっぱりまだ私は情緒不安定です。
まあ・・・正直薬物治療を薦められるんですが、私は受け止められる内はこの自分の衝動を受け止めてそして何かを作りつづけていたいと思うから、それは私が壊れる寸前まで止めておこうと思う。
もっと、泣きたくなるような歌を、話を、演奏をしたいと思う。
溢れ出る感情がやがて私を支配して飲み込もうとするから。
でもなあ・・・うん、普通に仕事という波に飲み込まれると、もうそれどころじゃなくなるんですよね。
達成率の%の数字がずっと木霊するんですよ、いや、当たり前だし皆やってる事なのだけれど。
それで霧散する意識が、凄く惜しい。
私は指が醜い。
皮が剥がれて膿がたまって、熱を持っている。
まともにもう随分とピアノは弾いていないし、昔のようには引けないだろう。
・・・・気が狂いそうだった。
そうなり始めた時のことは今でも夢に見る、
何度私は私の指を切り落とそうと包丁を握っただろう。
熱をもって、膿を切っても、動かない、触れるだけで痛い指先。
ピアノを弾けないなら死んだ方がいいと、そう考えていた私はろくにピアノが弾けなくなった今でも生きているのだ。
というか、生かされたとも思う。
先生や、友人や姉様の手によって。
だから、というわけでもないのだけれど。
作りつづけるのを止める事はもう出来ない、だって、作るために生きているのだから。
ちょっと文章混乱気味ですね、うん。
何が出来るのだろう、こんな私に。
戦争は決して対岸の火事の話じゃあない。
ガンダムや、ギアスだけの話だけでもない。
私が目を潜めるのは自分自身の指先や、そうして小さなすれた皮膚。
それだけでも私はこんな風になってしまうのに。
それだけで、、といっても、痛い、という感情だけで動かすのには少々しか支障がないのに。
なんなのよ、公表死者数99人って。
なんなのよ、なんだっていうのよ。
デモ隊19人射殺って。
なんだっていうの!
どうしたらいいの、何が出来るの。
ねえ、何をしたらこれを止められるの。
「俺は嫌だ。」
ニール、私も・・・・・・・嫌です。
15日に起きた、チベット自治区の、ラサ地区のチベット独立の叫びは、・・・・19日。社会秩序は正常に戻りつつある、ですって?
ミャンマーではやはりアウサン・スーチンは政治に参加できぬまま。
アフガンの収集もままならず、イラクの多発する爆弾テロ。
誰だって押さえつけられれば逃げ出したくもなるし、拘束から放たれたいと思うだろう。
政治とは圧力をかけて思い通りに動かす事ではなく、微妙なバランスを取りつづけるものだと思う。
だからこそ、政治家が無能なのはそれだけで罪だ。
世界は止まらない、いつだって、誰かが誰かを憎んでいる、その繰り返しだ。
なんてことだろう、私たちは何を学んでいるの。
ねえ!
想像してごらん。
オノ・ヨーコのイマジンを、ジョン・レノンの語りかけるような歌を。
想像してご覧よ。
戦争の無い世界、人と人が触れ合い微笑み合い、慈しみあい、そうして優しくし合える世界を。
涙が出るほど、それは優しい温度を持っているんだよ。
そう、グレープフルーツにナイフをいれて、八等分にしよう。
そうしたら八人でその瑞々しさを一緒に味わえるから。
そうしようよ、ねえ、・・・・・・・・・・・・そうしようよ。
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