島原半島旅行記 二日目2
さて予定より少し遅れたがまあ予測の範囲内で、島原港に行って荷物をコインロッカーに預け、
原城→島原城(できれば某熊さんのお墓参り)に行きたかったのですが変更して、
万が一には原城は行かず島原城でのんびりというコースで良いかな、と雲仙から島原に行くバスの中で考える。
因みに行きは
おおおおおうううううううっ と言うぐらい揺れたバスが今回はびっくりする程揺れず、
行きはなんだったのだろうか・・・と頭を捻る次第であった事は未だに疑問の一つ。
さて、島原港を通り過ぎ、バスセンター近くで下車。
島原城まで徒歩五分。
ねえ、徒歩五分って書いたの誰・・・?
見えてるのにつかない・・・
十五分ほどかかり、荷物で手が痛い・・・うぅっごめんよ椿ちゃん。
島原城の城門を守る衛兵さんに道を尋ねると地図を下さいまして、島原城近くの武家屋敷に参ります。
なんというか、うん、江戸中期の武家屋敷・・・うん。
武家屋敷の中で一つ、売店もある所に美味しそうな暖簾を発見。
早速
かんざらし v
冷たくて美味しいv
さあてここで時間もあることですし、あそこに行けるかな?と売店の店員さんに聞いてみるも
誰ソレな状態・・・な ん だ と ・・・
しかし親切な店員さんはタクシーの運転手さんに聞いて下さった。
電話を途中で変わって頂き話を聞くも・・・
「公共交通機関じゃ無理だね。タクシー以外ないよ。俺は知ってる場所だけど、普通のタクシーの人は知らないよ」
えー・・・あ、ではタクシーで。
ここへ行くのは私の我儘で独断で決めたので私が払うからねっと決めてタクシーに乗り込む。
で、ついたのは。
二本木神社 ↑
【竜造寺隆信の戦死を悼む遺臣が住み着き霊魂の慰める為に祠を建て、厄除けの神様として祀ったのが始まりとの事】
確かに・・・竜造寺隆信が厄除けって効きそうだ・・・加藤清正の勝守と一緒だね!なんか効きそうな感じv
東照宮で健康守でも同じ事が言えると思う。
これ違う。お墓と違う、供養塔と違う・・・
確かに関連史跡にあたりますがこれ違うの・・・
「ここから真っ直ぐ歩いていけばつくよ」
あとは歩いていってね。帰りは?あーじゃあ待っとくよ。
で。教えられた道を行く。
行く。
行く。
行き止まりぇ
戻ってどうしようか、と二人で溜息をついた時タクシーのおじさんが
案内してあげるよ、と車を回してきた。
行きがけに
分かり辛い所に看板がありましたがあそこじゃないんですか?
という問いに んー?と。ほれ行くよ、と歩き出す。
多分あの看板のところだと思うのは気のせいか?多分気のせいじゃない・・・
そしてここでは書けない場所をとおって歩くおじさんにすごすご着いて行くも・・・
えと、ここ何処ですか、ここ入っちゃいけないんですよね?ねえ、
ねえねえええええええええええええ
と半分パニック状態に陥った時。
近くの畑のおじさんが
謎の親切なおじさん「おおーい、なんを探しちょっとかああああ」
タクシーのおじさん「大丈夫ですー」
ぐんぐん歩いていくタクシーのおじさんに不安を覚える私。多分椿ちゃんは疲労の限界だと思う。
大丈夫じゃなかっとグっと拳を握り
「竜造寺隆信の供養塔探してるんですーーーーー沖田畷の戦いで戦死した肥前の熊ですううううう」
「ほんなら ○○○○を真っ直ぐ行くからすぐそこ!分かり辛いやろうけどそこを上がっていきなさいーーー」
「有難うございますうううううう」
おいちゃん、全然違ったよ・・・そして、やっぱこんなデンジャーな道は歩いたらいかんよ。
「だ、大丈夫なんですかあああこんな所歩いてえええええ」
タクシーのおじさん「大丈夫。おいちゃんが小さい頃はよう行きよった」
まじか、無理だ。
多分ここは本当に歩いちゃいけない所だ。
ここでは書けない所です。
結局おじさん・・・知らなかったんですよね?
ちょっとがっくりきながら・・・ええ、悪気はないんですよね、悪気は。
でもこれだったら・・・うん、もういいや。
そしてつきました
竜造寺隆信の供養塔です。
そしてここらへん一帯で1584年沖田畷の戦い・・・文字通り泥沼の戦いが繰り広げられたのです。
いえ、本当に当時の海岸線と今の海岸線違いますし、まあ、本当に泥に塗れて輿に乗った竜造寺隆信は討ち取られ、
遺体引き取り拒否されて(拒否の理由は怨恨とも政治的理由とも色々説があります)
最終的に首はどこにあるのかも現在では不明です。島原の川に流されたとも・・・(諸説有)
竜造寺隆信の墓は肥前の高伝寺にあります。
まあ私的には有名な武将だと思うのですが、あまり有名ではないらしい・・・
タクシーのおじさんにもびっくりされました。
因みに 竜造寺(数万 これも諸説、一万~六万の説が・・・)VS有馬・薩摩連合軍(8千~5千人諸説有)
この戦いで竜造寺が完全に九州制覇の夢に敗れ去り命も落としたわけです。
まあ、ご存知の通りその後鍋島が家を継いでいくのですが・・・
やっと来れたよ・・・一昨年に椿ちゃんと佐賀城に行った時から行きたかったのですようvvv
しかし・・・今まで色々史跡めぐりにあたり えええええええっな場所とか行きましたけど、
今回以上に凄い・・・危険な事をしたのは初めてで・・・もうこれっきりと願いたい。
私一人ならいいんだ、でも椿ちゃんもいるのにこんな危険な目に合わされたのはちょっと憤慨ものでした。
さて、帰りはもう島原城まで送って下さい、とお願いした所、
「なんか悪かったしね、帰りはタダでいいよ」
と気前の良い事を。有難うございましたvvvv
さて島原城では撮影禁止なのであまり撮れなかったのと
甲冑武者がいたり、何故か竜馬さんがいたり(カッコイイvvv)、衛兵がいたりと写真的に至れり尽せりで。
つまりは人物が写っていない写真はあまりない、と。
でも綺麗でしたし、中は隠れキリシタン、島原の乱、民族資料館になっておりかなり充実しています。
日本はここ数百年では珍しいキリスト教徒迫害の地として世界的に有名で、特に長崎がその最たる地として有名です。
キリスト教のアジア史に興味を持つ方なら国外の方でも必ず知っているそうです。
この話では・・・相当揉めた事もあるのですが・・・ただ、日本を批判するならその背景も、
そして、キリスト教が不況の名の元に何を行ってきたかも勉強していただきたく候・・・
兎に角勉強になります。
そして階段きついです。
天守閣にはカキ氷が毎年の如く売っているのですが、今年は時期じゃないそうでカキ氷はないそうです・・・
嗚呼椿ちゃん・・・広島城の天守閣で飲んだ冷たいジュースが懐かしいねえ。
ここは皆さんご存知でしょうから飛ばします。
さて、島原城前の売店で買い物をしてゆっくりしている時点で時計の針は二時。
14時です。
もしやこれは・・・原城いける?それか島原城ぐるりコースいけるか?
どっちがいい?と椿ちゃんに問おうとした所。
町娘に変装したお姉さんが
「帰りフェリー?・・・動いてないかもよ?」
な・・・・なんだってええええええええええええええ竜馬の変装したかっこいい方も心配して下さって、その場で慌ててフェリー会社に問い合わせ。
動いてない だ、と
島原港以外のルートも甲冑武者が提案してくださいまして問い合わせすると・・・
だめだ 海の便は全滅だ という事が判明
ちょ、フリー切符で来てるのに!!!!!
わああああっちょっとどうし・・・まあ、うん、帰る方法は探すしかない。
焦ってもしょうがないからローカルで探すか高速バスですね。
検索・・・うん、バス次は18時ってvvv
とりあえず、お腹減ってるし、お腹減ってると良い考え浮かばないじゃない?だから
具雑煮食べようv
と
姫松屋で美味しい具雑煮いただきましたv
美味しかったv
そして高速バスは一日3往復。三時間以上かかる。
さて、このまま島鉄+JRで博多に帰るのと高速バスで帰るのとどっちが早いか。
愚問だな。お互い明日は仕事なので島鉄使う事に。
諫早までフリーチケットで使えるそうなので、それからJRを使おう、と。
さて島原駅についてみると、なんとフェリー情報がバシバシ載っている電子掲示板に!!!!
おおおおおおこれは動いているのかvvv
と駅員さんに問い合わせると・
「動いてませんよ。掲示板ちゃんと見たんですか?」
はあ?という態度に駅員さん・・・冷たい態度止めて・・・泣きたくなっちゃう・・・
「いえ。掲示板見たので伺っているのですが・・・」
「ちゃんと張り紙してるでしょ」
「あの、貼ってませんでした・・・」
「ふうん」
「(汗)あのこのチケットで諫早まで行けると伺いましたが、今から最短ルートで何時の電車で諫早に何時につきますか?
それからJRの乗換えと時間を・・・」
「掲示板見てください。JRのも行ったらわかるでしょう?」
「(滝汗)では料金は・・・乗換えは」
「駅は同じですから一度改札を出て料金聞けばどうです」
「(もう泣きそう)時間が・・・無いんです・・・」
「(溜息)時間がないならそのまま乗り換えて電車の中で切符買えますよ」
「ありがとうございます・・・」
もうね心折れそうでした・・・
予定外の出費を椿ちゃんに強いてしまったのも申し訳ないし、観光もあまり出来なかったし・・・
うう、ごめんよう・・・
結局諫早から博多へは特急で帰りました。
でも楽しかったvご飯美味しいかったし。
でも、多分今回はあれだ、移動距離が長かったのかもしれない・・・ごめんよう、椿ちゃん。
次からはもっと計画たてますね。
二日間お昼ご飯時間遅くなってもうorz ごめんねええええええっ
でもまたどっか行きましょうねv