石には、涼子の知らない言葉が記されていた。
それに添えるようにして蒼が差し出す銀の鍵。
差し出されたものを受け取って涼子はたおやかに微笑むと、受け取った鍵を大切に懐にしまいこみ、これは何?と桜色の爪で指し示す。
「子を得よという事。」
「それはあの女の産んだ子どもを引き取りなさいという事かしら。」
「そう。」
一瞬考え込んだ涼子はわかったわ、と頷き美味しそうに紅茶に口をつける。
「私の子どもと一緒に育てるとしましょう。」
これで良いかしら、と涼子はまるで駄々をこねる子どもを宥める口調で言うと、蒼は爽快な笑い声をたてて、お茶のおかわりはどうかしら、と首を傾げて問うた。
「そういえば」
振り返り長い髪を簪で上げながら月が蒼を見れば、蒼も丁度髪を上げているところだった・・・・・いらなくなった箸で。
「いい加減にその惰性直しなさいよ?衣装箱・・・アヘン戦争前につくられた英国人の特注品の。あれ蒼が売ったのよね?」
「売りましたよ、言わなかったかな?」
「聞いたような・・ああ涼子さんに売ったんだっけ?」
「そう。涼子さんに。鍵も渡してあるよ。」
自分の髪を整え終わった月がため息をつきながら蒼の髪を綺麗にまとめあげている箸を抜くと、真っ直ぐな黒髪がすとんと落ちる。
近くにあった鼈甲の簪を手に取り、櫛を持つと蒼の髪を梳く。その心地よさに蒼がうっとりと目を閉じれば月はなんだか嬉しそうに何度も何度も髪を梳く。
「結局どうして涼子さんに渡したのかは教えてくれなかった気がする。」
「話す程の事ではないよ。あるべき場所へ私は置くだけ。
それが良い事でも悪しき事でも私はただただなぞるだけ。」
月の手によって上げられた髪は少し形はくずれているもののすっきりと蒼の項を見せる。蒼は満足したように息を吐き、鏡の前で確認しつつ色の悪い唇に紅をのせていく。
「それでいいの?」
「いいの。介入する事は出来ないのだから。
そもそも呼んだのは涼子さんだしね、私はいいと思う。」
気にもせず笑う蒼の手から紅を腹立たしげに奪い、月は違うわ、と呟くと軽く唇を噛んで、子どもの事よ、と言う。
「涼子さんの?それとも旦那さんのお相手の?」
「どちらかといえば相手の子よ。」
ふふ、と蒼は鏡から目を離して、木製の鏡台引き出しからそっと古い鏡を取り出す。
「月さんは子どもには優しいね。だから渡したの。」
鏡を短い爪でこん、と鳴らし蒼は狐のように笑った。そう、温度のない狐のような、どこか奇妙で歪な笑み。
鏡を手渡された月は一瞬、赤く染まる中に銀の光と紅葉の手が見えた錯覚にくらり、と眩暈を覚えて蒼を見れば、蒼はもうお気に入りの紅葉の単を纏って、帯を肩にかけ帯紐を合わせて思案顔。
「どっちかを選んだのは涼子さんだから。
だから涼子さんは衣装箱に直したの。大切だった過去の恋を。あの時は協力してもらって悪かったと思ってるけれど、ね。」
「いいわ。私も久々に外国に行けたし。珠には貴女と一緒に骨董市というのも悪くはないわ。ハギスも美味しかった事ですしね。
その後貴女が仕入れの為に暫く帰って来なかったのも良いとしましょう?警察も来なかった、そう来るのは嫌だと言った約束は守ってくれたものね。
貴女が警察に行ったけれどね。」
ようやく帯絞めを決めて、今度は帯揚げで悩みながら、でもね、と蒼が振り返る。
「案外警察の方は紳士だったわよ。私は容疑者じゃなかったからかもしれないのだけれど。ご飯も美味しい蕎麦、出来れば天麩羅付きが食べたいんです、って言ったら本当に出前してくださって、結構これが美味しかったの。
ああお店聞いてくればよかったわ。
まあ、死体が入った長持ちを売ったお店でなおかつ鍵がかかっていたというのだから一応聞かなくてはいけないわけよね、それで鍵は私が旅行がてら探しに行く予定だったんですって。だからもしかしたら鍵穴あたりを弄ったらふるいものですから勝手に鍵が閉まってしまったのかもしれません、とは言ったの。
あのお宅にはお子様もいらっしゃらないという事でしたので安心していました。でも、大人の力でないと開かないんですよ、と言ったら無罪放免。」
「そう・・・・涼子さんには アリバイ があるものね。」
「そこはいいっこなしよ。」
「蒼は本当に上手よねメイクも。私と蒼は一緒に出国して次の日に涼子さんと合流して。ふふふ、まあいいわ。いいものも手に入ったし、涼子さんはいいお客様だし。・・・・あらお客様?」
月が帯を結び終わった蒼を片目で見て窓の外に人影を確認すると、階下へと降りていく。
待って、と蒼が続き、月を追い越し店の扉を開けた。
ピーターチャイムトーンの音が鳴る。
「こんにちは蒼さん。」
「こんにちは刑事さん。」
にっこりと笑う後ろで月が「蒼・・・」と低い声を出せば蒼は慌てて振り返って違うの!と弁明し始めた。
「今日は「今日は品物を見せていただこうと思いまして。お姉様ですか?よく似ていらっしゃるのですね、美人姉妹とは目の保養になります。」
「刑事さん、お上手。でも私たちよりも・・」
奥に急いで走っていった蒼を見送って、刑事は近くの椅子に腰を降ろせば月は長丁場ならばお茶を、と思い、品物とお客の雰囲気に合わせて紅茶をいれようと喫茶室へと姿を消す。入れ違いに蒼が嬉々としてベッチンのはられた品物入れを二つ持って現れて、刑事、と呼ばれた男は目を輝かせる。
「これは!見てもいいのかな?」
「勿論です。これが日本の大正時代の蒔絵の懐中時計。漆の部分も綺麗でしょう?音も聞いてみて下さい。正確に今でも時を刻んでいる。
これは昭和初期の華族の持ち物で・・・」
話のこしを折らないように、月が静かに現れて近くにカップを置く。
刑事は懐中時計を目を潤ませて見ながらカップに口をつけた瞬間、懐中時計を丁寧に並べて開けていくという作業を滑らかにしていた蒼の集中力が欠けて、刑事を見た瞬間顔が引き攣った。
「スミマセン!」
蒼の静止もむなしく、刑事はその場でむせこむように肩を揺らした。
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