ひんやりとした感触に蒼は頬をすりつけて、いとしげにまるで我が子の如く慈しむ仕草をしている。
凹凸の激しい硬い鉱物に向けて並々ならぬ情を感じ取った男が小さくため息をつけば蒼はそっと鉱物から顔を離してカサカサの唇で微笑んだ。
「これ。わたしに譲っていただけませんか。」
真っ直ぐ射抜くような黒い瞳に見つめられて男は異国の言葉を話す蒼をじっと、見ると諦めたように首を振る。
『お嬢さん、これはいわくつきの品だがね、お嬢さんに言っても聞いてはくれないだろうね。わかったよ、そんなに大事そうにするならお嬢さんにあげよう。ただね、決してそれを・・・・人に譲ってはいけないよ。それはお嬢さんのものだ。お嬢さん以外が持てばそれは必ず なるから。』
深く頷いて蒼はゆっくりと中指にはめていた指輪を差し出すと、己の手の中にしまった鉱石を指差して指を軽く魔法をかけるように振る、それはチェンジを意味するのだと簡単に伝わって男は皺のある目元で微笑んだ。
『わかった。』
お互いに知らぬ言葉を交わし、微笑み合って頷けば交渉は成立。
そうして蒼は懐深くに鉱石を抱え込むと雑踏に紛れて行く。
暫く歩いて蒼はふと、振り返ればそこにはもう何もなかった。
半刻前に遡ろう。
それは仕事仲間でもあり、また腐れ縁の強い御堂と共に訪れた異国の道での出来事だ。
暑い日差しを手で軽く遮って、蒼がため息をつくと御堂が軽く笑ったので、上目遣いに睨むとごめん、と御堂が少しも反省の色の無い謝罪を見せる。
「兄の前じゃそんな様子見た事無いなあ、って思っただけですよ。」
「嫌味?」
「違う。そうじゃなくて・・・」
蒼はホテルに置いてきた帽子の方がよかった、と思い返しながらもいつもとは違う御堂のこの旅へ誘った時の様子を思い返しながら皮肉気な息をかみ殺し、片眉を上げるとあたりを見渡してはっきりとした声で告げた。
「ひとまず座って冷たい飲み物でもどうかと思うのだけれど?」
その言葉に御堂は強く頷いて、近くを見渡すとあそこにしようと蒼の手をひこうとする。その誘いの手を振り払い、黙って御堂の後ろをついて行きながら蒼は道路にのんびりと体を横たえた牛を横目で見、そのどこか静けさをたたえた瞳に見入りそうになりながら、小走りで御堂の後ろを付いて行く。
途中振り返りながら外国人用の喫茶に入り、流暢に言葉を操り注文をすると、御堂は蒼の名前を呼ぶ。
「紅茶とスコーンを頼んだのだけれどよかったかな。」
「有難う。」
しばし天使が通り過ぎる。
言いにくそうに御堂が口を開くまで蒼はただ店内を歩くボーイの白い制服についた小さな染みを見て、その視線に気づいたモデルのように美しい黒い巻き毛のボーイの焼けた肌から覗く真っ白な歯の清楚さに微笑み返していた。
「今回は勿論仕入れもあるけれど、伝えたい事がありましてね。・・・兄が離婚をしました。」
「そう。」
丁度注文の品を持ってきたボーイに礼を言って受け取りチップを渡し、蒼がカップを揺らすと御堂は目を細めて少し泣きそうな顔のまま、蒼、と呼びかけた声でようやく蒼は御堂の方へ視線を向けてカップをソーサーの上に戻す。
「だから縁を切りたいという事なの?」
「違う、逆です。これで貴女がもし私との縁を切りたいというならば私にはどうしようもない、ですが、私は・・・」
蒼はこれもらってもいい?と御堂の皿のビスコッティを指差せば黙って頷く御堂の目の前でビスコッティを濃い紅茶に浸して一口口に含む。
「関係無い事よ、もうね。そんな事だけの為に来たというならば早く帰って欲しいぐらいなのだけれどどうなの?」
御堂にとっての意外な返事に驚いたままの表情で御堂はでは、と身を乗り出す。
「母も貴女には申し訳ないといっています。もし貴女さえよろしければ戻ってきてはもらえませんか。兄の元へとはいいません。仕事上の付き合いもあるのですから、もし、よければ」
御堂の言葉を遮って、蒼は不愉快そうに眉を寄せ、人差し指を突き出すと、御堂は息を飲む。
「それ以上言うならば仕事上の付き合いも無くなると思って頂戴。
何の為に一緒に来てると思っているの。利害関係の一致でしょう?
だからこそそういう話はしないで。」
わかったなら行きましょう、と蒼は紅茶を急ぎ飲み干すと、行儀悪く、スコーンを口にほおりこんで、歩き出すその後ろを御堂が会計を急ぎ行い追いかける。暫く無言で歩きつづけていると、急に止まり御堂はぶつかりそうになりながら足を止めた。
「市へ行くのではないの?」
「ええ、そうですね・・・折角来たのですからその後にアショカ・ピラーを見にいきましょう。」
「あれはモスクの中にあるのでしょう?入れるの?」
「大丈夫ですよ。」
少し崩れてはいるがいつもの調子を取り戻した御堂に蒼は遠慮無くでは、とサンダルを擦り、方向転換すると派手な乗合バスを指差した。
「あれで行く?」
「一応予算はあるので個人タクシーで行きましょう?」
げんなりとした御堂の返事が返ってくるので蒼は少しだけ笑った。
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