夏の間、何度も彼女と会い、話をしてそうして深い所で価値観を分かち合い心が寄り添う感覚をそっと良知は楽しんだ。
彼女、蒼の厭世的で酷く自虐的なくせに世界を深く愛しているという矛盾を抱えたままの性格は良知を酷く喜ばせる。与える知識をままに受け、そこから語りだす物語は心を満たしてくれた。
麦わら帽子の蒼がいつももっている大きい鞄には楽譜と楽器が入っており、稚拙ながらもそれを楽しげに弾くのを聞きこの時間を永遠に続ける為にはどうしたらいいだろうと考え始めた頃に夏は終わりに近づいた。
蝉の鳴く高い空から降り注ぐ木漏れ日の下で良知は楽譜を見つめる蒼にねえ、と声をかけると蒼は気難しそうに眉を寄せて顔を上げる。
「僕はもうそろそろここには来れなくなる」
「そう」
「蒼と話したりは凄く好きだからまた会って欲しいんだ。電話番号とか教えて?」
「無理」
「どうして」
「取次ぎになるから」
「携帯持ってないの?」
「そう」
じゃあ携帯買って渡そうか、と言おうとする言葉を飲み込んだ。蒼が気に入らない言葉であろうから多分。
「じゃあ手紙は?」
家が厳しいのかもしれないという薄々感じていた事を考慮して言った言葉も受け入れられず首を振った蒼にねえ、と手を伸ばす。
「ここの近くにある水神の神社を知っている?あそこに手紙を送るから取りにきて欲しいんだけど」
「無理」
どうして、と哀しそうな表情を作れば蒼は意に染まない事でも必ず意識を向けてくれると言う事を知っての顔に蒼は困ったように、申し訳なさそうに目線を落とす。
「自由になるお金なんてないから手紙も送れない」
蒼が着ている洋服は貧しい家の者の服ではない、という事はやはり厳しい家だったかと良知はじゃあ、と蒼の手を掴んで起こすと蒼の荷物楽器類以外を持つ。
「今からそこの神社を案内するよ、手紙を受け取って欲しい。受け取るだけでいいから、お願い」
蒼の否定を聞かずに引っ張れば溜息をつく蒼の吐息に良知は笑い、まるで小さな子どもになった気分のまま蒼を連れて行く。
図書館の庭園の裏手から回り十分程歩くとそこにある神社の社務所を覗くと白髪の混じった髪の穏やかそうな男性が顔を上げる。
ここは分家の神社であり、良知が今世話になっている家だ。
男性は良知の姿を見て引き戸を開けると隣に立っている少女を見て珍しげに眼を開くと、蒼は名を名乗り丁寧に頭を下げた。
「叔父さん、お願いがあるんだけれど、僕が送る手紙を彼女に渡して欲しいんだ。ここに取りに来るから」
「ああ、それはかまわないけれど・・・蒼さん、だね。私は御堂和正でここの神主をしています。取りに来るって、定期的に?」
「一応、届くのに2.3週間はかかると思うからそれぐらいに。蒼、大丈夫?」
「それぐらいでしたら・・・」
「じゃあ決まりだね。叔父さんよろしくお願いします」
そういって手を振った良知はそのまま蒼を連れて歩き出す。
慌てて和正へ一礼しついていく蒼と良知の後姿をみながらなんとも言えない微妙な表情をしながら和正は社務所の中へ戻っていった。
上機嫌のままいつも蒼と入る喫茶店に入り、ケーキセットを注文すると、蒼が呆れたように良知を見ている。
「ごめん、勝手に注文しちゃって。もしかして、ケーキより気分はクッキーだった?」
「あなたの支払いなのだから好きにしたらいいでしょう?」
「不機嫌だね、何か気に障った?」
運ばれてきたハーブティーに口をつけた蒼は違う、と呟く。
「あんな風に人に迷惑をかけてよく平気ね」
「迷惑、かなあ。まあ先もって恩を売れるからラッキーぐらいに思ってるんじゃないかな?」
「恩って・・・」
「僕は本家、あっちは分家。色々あるんだよ」
「昔話みたいね」
片眉を上げて言う蒼の皿からケーキを一切れつまんでまさに、と笑う。
「その通り。時代がかかった家に住んでいるんだよ。本宅は違う所。ここには病院に通うとか色々あって、今いるんだ。もうすぐ学校に帰らなきゃ行けないから暫く蒼に会えなくなる。でも手紙が蒼からくればきっと寂しい時も哀しい時も元気でいられそうだから、手紙が欲しいんだ、僕の為に。駄目かな?」
「駄目っていっても無駄でしょう?」
「賢い蒼はいいね」
「お茶かけられたいの?」
明るい日差しの下で蒼の声に笑い、この穏やかな日々があればこそ、と良知は泣きたくなる程切なくなった。
良知のそんな様子を察したのか、腕時計を見ながらも蒼は少し茜色に空が染まる時間まで一緒に居てくれて、それがどれだけ貴重な時間かを知っている良知はまた少し泣きたくなった。
別れの時、蒼の後姿を見送って、良知は帰宅すると明日出立する為に纏めている荷物に丁寧に抱えていたスケッチブックを直し、終わる夏を酷く惜しんだ。
渇いている。
空気が身体に巻きつくような水分はなく、この国特有の風が空港から出た瞬間からいつも思う風に髪を乱し、良知は荷物を抱え歩き出す。
電車に乗りバスを乗り継ぎそうしてやっと着く大きな門。
伝統あるパブリックスクールの門はいつもと変わらず赤茶けた煉瓦の先にあり、ああここに戻ってきてしまった、憂鬱な気持ちを押さえられない。
遠くにみえる塀の向こうの日本庭園、城を改装した校舎に回りを取り囲むような寮。そして高く響く教会の鐘の音。
門をくぐり自分が所属する寮の扉を開け事前に貰っていた号室を確認すると階段を踏締めて登る。早めについたせいか、人もまばらだ。
息切れしているのは良知の体力の問題よりも荷物の重さだろう。
踊り場で休憩、と肩を下ろした瞬間、良知の手から荷物が奪われた。
おや、と顔をあげ見る。そこに居たのは・・・
「アーサー」
「やあヨシお帰り」
自分よりずっと背の高くしなやかな腕で荷物を持ったまま良知の頭を撫でるとそっと耳元に唇を寄せた。
「同じ部屋だね」
嬉しそうに囁く言葉に良知は冷たい汗が流れるのを感じる。
「夏期休暇は家においでって言ったのに。久しぶりの日本はどうだった?」
「・・・そうだね、良かったよ。お土産があるから後で渡すね」
歩き始めたアーサーの後ろに続き、囚われてしまった、と何故かそう思った。
一昨日は蒼と居た時間が今は遠い。
荷物を置いて一息したら手紙を書こう、自分に言い聞かせて良知は噛み締めるように笑みを浮かべる。
その顔を見て、アーサーは哀しそうに笑うと良知の手を引いた。
蒼へ
元気でしょうか。
夏が終わり今年は急激に冷え込んでいると聞きましたが風邪はひいていませんか?君と過ごした夏はまだ夢のようでこうして手紙を書いている間も夢ではなかったかと自分の頬をつねっています。
こちらは寒くなってきました。日本の寒さとはまた違う霧の深い寒さです。
蒼と話したシャーロック・ホームズの荒野の狗の話のイメージを思い浮かべてみて。それと同じような感じだから。
しかもハロウィンパーティーの準備で忙しく動いています。上級生達の指示で右へ左へ大忙し。将来上に立つような人達だから様になっているのを見るとやっぱり違うなあと感慨深く思います。
九月、といえば日本ではどんな行事をするんだっけ?読書の秋とか言うけれど、蒼は年中本を読んでそう。
僕は昨日ベケットを読みました、友人の、アーサーというのだけど彼がそれ面白いかい?と幾度も聞くので読み辛かったのが正直な所。
彼は生粋の英国人だから基本皮肉屋です。
そうそう、これもルームメイトなんだけどカルロというイタリア人が君の絵を見て人形みたいだって。
でもゴローが、彼はフランス人なのだけれどオリエンタルビューティーだって大喜びしていたよ、絵は見せびらかしたわけじゃなくって彼等が勝手に見たんだ、許して欲しい。
アメリカ人のアレックスは絵の君に惚れ込んだみたい。いつか会いたい写真はないのかって大騒ぎをしていた。
君は自分の事を醜いと言うけれどこうやって大騒ぎする馬鹿な男たちがいるんだからそうじゃないって事をどこか頭の片隅にいれていて欲しい。
しかし、ハロウィンの準備をしていると不思議な気持ちになるね、だってお盆を日本でした後にこっちでもお盆をするだなんて。いっそ和提灯でも持っていけばよかったかなあと思う。
今手紙を書いているのは図書館で、窓の外には綺麗な木と湖が見える。
でも新緑の美しさで言えば最初に蒼と会った東屋の方が綺麗だ。昨日君のデッサンに色をつけながら思い出すと共に、冬、蒼はどんな服を着るのだろう、どんな顔をしているのだろうと考えます。
日本の庭が懐かしい。また会える事を願っています
御堂良知
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