本当、どうでもいい話。
そういえば私が司馬先生の本にはじめて出会ったのは鹿児島の実家の叔父の書籍を暇だったから磯に遊びに行った従兄弟を尻目にあけてみたら本がたくさんあって、そこに司馬先生の本がたくさんあったのがはじまりだったような。
うん、エッセイはなかったのですが、小説はほとんどありまして、夢中で読み漁って頭の中がぐらぐらになった記憶があります。
司馬先生と、分厚い誰の訳だったかもう忘れましたが源氏物語と、太平記。
叔父はやめてしまったのですが防衛大の学生だったせいか、戦記物が好きらしくまともに何か話をした事はないのですが、叔父の所有して実家に置きっぱなしになっている本はそれはそれは私を魅了したものだと覚えています。
夕刻、海に西日がさしかかり、活字が薄暗くて見えなくなり始めた頃、町内放送で夕刻の音楽と今日もお疲れ様でした、という年配男性の声。
鳴く鴎に帰ってくる従兄弟達。
夕飯を呼ぶ声、明日の漁の支度をしていた祖父の呼ぶ声。
魚の焼ける匂いにつられてやってくる猫の声。
ベランダから見える見事な夕日を見ながら本を惜しみつつ閉じたあの頃は二度と戻らない私の大切な思い出と一緒にあるから、本を読むという行為は私にとって幸福の象徴でもあるような気がします。
また、映画や書物から発展した寝る前の話。
ドラキュラとカミーラが喧嘩したり、チャイルドプレイのホラーがどこか哀しく愛らしい話になってひょうきんに踊ったり、かと思えば女スパイの恋物語。凛々しい武者の失恋話。伯母が話してくれる寝る前の話が大好きで姉ともっともっととねだり、やがて伯母と布団を並べて寝ることが少なくなってからは姉と二人で笑いながら昼も夜もずっと二人で二人だけで通じる言葉で話を紡ぎつづけて。
そうか、本を読む、話をつくる、というのは私にとって郷愁の想いにかられると同時に最も幸福な記憶と感情を今でも与えてくれるものであると思い出すのです。
因みに燃えよ剣では土方歳三に惚れて(初恋の人)夏草の賦では姫若子じゃん元親ってと思い、関ヶ原では佐和山主従に主従とはこんなに仲が良いものかと思い、跳ぶが如くでは何気にかっこいいじゃん苦労人大久保(西郷に付き合って温泉に入ったりとか。裸の付き合いヒャッホイv)とか、功名が辻では千代の強さに恐れ戦き、(以下略)色々と間違った方向でいきましたとさ。
・・・・街道を行くの全巻を揃えたい今日この頃。
ちょいと。肥前風土記の褶振の峰の弟日姫子は沼底にいたのであろうか。
蛇神が愛しすぎたのか、禁忌を犯したのか。
殺すほどに愛したのか、己が姿を見た姫を憎んだのか。
風土記なぞを読んでいると何故だろうか、という疑問を考えていくのが楽しい。
独自の解釈はいかぬのでしょうがね。でも楽しゅう御座います。
あ、本当にどうでもいい事。
黒田家の兜の趣味はどうにもならないものですかねえ。
おわんと風受け。
おわんは・・・・・百歩譲っていいとして、風受けはあれは・・・そうか、馬上にて風を受けて後ろに反る背を支えるが為に腹筋と背筋をフルに鍛える為の星家の養成ギブスみたいなものか!長政ファイっ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・何故誰も止めなかったのでしょうねえ。
・・・あー・・・・黒田二十四騎変なかぶとじゃない率低いわー。
そりゃ止めないわなあ。・・・戦の邪魔になりそうなのばっかりなのがいとおしい程です。
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