先日は椿嬢と小鍛冶を見に行きまして、(あれだ、気高い童子が出てきたあたりはすかーと寝てしまったが。嗚呼駄目な人。恋ものは結構な確率で寝ちゃう駄目人間です。)私って修羅ものや妖怪ものが好きなんだなあと実感。まあちょっと寝ちゃいましたが。許して欲しい、前々日から熊野の御行について調べてて本当に寝不足だったんです。ええ今も絶賛寝不足中。
まあそんなこんなですが、狂言の清水も面白く、音も良いのでびょうびょう、とかかかと笑う、とかむんずとつかみ、とか、まあ色々そんな言葉を使った小説、いやこんな技術で小説と言うもおこがましい、駄文を書きたくなりまして、古語辞典を広げてウンウン言っておりました。
色々思いつくのですよ。椿嬢がまた色々ご存知な方で御座いまして、感想を聞きつつおおそういう見方もござったかと納得感服!
人と話すというは面白ろう御座いますな。
何かを見て、考えて、感じてつくる。
生きるとはこれでよいのではないかと思う今日この頃。
あ・・・駄文はいまいちだったのでちょっと封印しまする。暫くしてちょっと日記に書くやもしれませぬが。
そう、能は楽しかったのですよ。好みで言えばわたくしは歌舞伎より能が好きです。歌舞伎も好きなのですが、こう、好みで言えばですよ?
見に行く率も能が多いですな。まあ・・・・歌舞伎が非常に高価というのもございますが。だってオペラ見に行くのと同じ値段ってなけます。
でもコジファントゥッテ見たいな・・・
膝が悪いのですが習ってみたいな能。ちょいと清経を舞う、とか格好良いではありませんか、戦国武将みたいで。笛とかもいいですねv
でもそれより先に早く麻痺を治して歌のレッスンを再開せねば!!!
まだこんな超不肖の弟子をレッスンしてくださるかしら、先生・・・本当ごめんなさい。
まめらない口に腹立たしさのあまりアイスピックをつきさしてやろうと真剣に考えるのですが、血が飛び散れば掃除するのも自分なのでやめときます。
歌えないならば声なぞいらないのではないでしょうか。
動かない表情筋ならばいっそ裂いてしまいたい。
でも永遠に歌えなくなるよりも今を我慢する、だから楽しい事を考えて忘れようとする、でも唐突に己が身を思い出し泣き伏せる自分はなんと業の深い事か。
だからこそ書くのかもしれませぬな私は。無差別殺人事件を見て、溢れる涙の前で何故あれが私でなかったのか。私ならば路傍の石のようなもの、あのように前途溢れ世の役に立つ方が何故愚かな凶行の前に倒れなければならなかったのでしょうか。
何故、あれが私でなかったのでしょうか、私ならばよかった、何故私でなかったのか、後悔するばかりです。
それでも生かされているのだから、ただただ生きるだけはなく、何かの役に立ちたいものですが、私は未だただただ生きて己の欲のままにいるだけです。
さて、友人のはっちゃけて好きな事を書けばという言葉に従い本当に好きなように書いていますが、根暗な本性しか出てきませんね。
ええ救いようがない奴です。
最近は読者様よりわたくしの日記を読むと不快になるとの貴重なご意見から自重するよう心がけておりましたが、またお叱りを受けてしまうやもしれませぬね。・・・・今回は見逃して下さいませ。
ちょっと色々あったんです。転職も考えていますし。
きっと私が平安末期にいたならば蟻の熊野詣出の途中力尽きて道端で屍を晒す一人となっているのだろうなあ、と熊野詣出の資料を読みながら思うのです。
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